2010年06月26日

心を取り戻す

〜種子島北部にある小さな集落の神社が忘れられません。

よくある木造の社の裏へしばらく歩くと、こんもり茂った森がそこだけ開けて、真ん中に大きな大きなアコウの樹が立っています。海から運ばれた真っ白な珊瑚の塊りが積まれていて、そこが古くからの聖所であることを示しているほかは、なんにもありません。

自分がただこの森の生成の一部に過ぎない、地球の生成の一部に過ぎないという感覚は、いつも新鮮で、安心できるものです。ちゃんと自分にも根っこがあることを確認する作業と言いましょうか。

私は北米の先住民居留地をはじめ世界中を経巡ってきました。
何処へ行っても常に、伝統的な、地球の生成に沿うた生活の思想と、より便利で清潔で安全で、しかし腐食力が強く地球の生成を破壊しかねない生活の様式との紛争の最前線を歩いてきたような気がします。

現代の生活様式に疑問、というか危機感を持つならば、より良い方法を探さなくてはなりません。人によって意見は様々、解決方法も様々なのでしょうが私は伝統的な思考を丹念に遡上することによって答えを見つけようとしています。根っこを確かめ、心を取り戻し、そこから何ができるのか考え続けています。丸木舟にまつわることは、その一環にすぎません。
posted by Boone.H at 13:08| Comment(8) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

将来的な課題とは

〜丸木舟が存在していくには
1:巨樹が継続的に生育可能な健全な森林と、その森林から運ばれる栄養に育まれる豊かな海との完全な循環。

2:地域の自然環境を逸脱もしくは破壊しない経済システムと、それに基づいた相互扶助的なコミュニティの存在。

・・・の2点が不可欠だ、というのが今回の”なみのこ丸”にまつわる調査と製作と試験運用によって明らかになってきたと思います。

今のこの国で実際に運用されている丸木舟はほとんど存在しないという事実は、上記2点が大きく破綻してもはや過去の牧歌でしかないという危機的状況を明らかに指し示しているとも考えられます。

まるきぶね、はただ過去の暮らしへのノスタルジアに過ぎないのか?

私はむしろ、破綻した自然環境と地域社会の再考と再出発のツールとして丸木舟の将来的な役割を見ています。森と海の交差するところ、人と人の交差するところに、それはあるからです。
posted by Boone.H at 09:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月20日

繋がったのかはたして?

〜いきなり結論から言うと、丸木舟の製作と運用は、個人的な事業(生業ではなく)としては成り立ちがたい、ということでしょうか。

森と海、そして人と人は繋がったのか?
正直、克服しなくてはならないたくさんの課題がある、個人的にも社会的にも。それがわかったことだけが今回のなみのこ丸にまつわる一連の活動の成果ということになりそうです。

霧島山麓で森に囲まれながら海を渇望しています。海はそんなに遠くないがしかし。

カスタネダの”ドンファンの教え”ではないですが、教えを、知恵を、統合して根源的な変革の呪へと導くには時間も、産みの苦しみも必要なのですねえ。命あるうちに辿り着くのか、イクストランへ。
posted by Boone.H at 09:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする